ふと思った事です。
自然のエネルギーって、聞こえがなんだか格好良いけどつまり不安定って事じゃないですか。自然ですよ、自然。人間の力で自然はコントロールできないから、欲しい時にある訳でもないし、要らない時に沢山ある場合もある。ジャスト・イン・タイムには絶対になってくれない。これは多分色々な人が理解しやすい事だと思います。
だから自然のエネルギーだけに頼っていると、その不安定さが常に付きまとうというのも分かりやすい理屈だと思います。けれど、それでは人間の活動がしにくいからと、先人たちが苦労して様々なコントロール可能なエネルギーを発明してきたんだと思います。あ、それと量もきっと足りないですよね。
石炭、LNG、水、そして行き着いたのが核の力。不安定な自然のエネルギーだけでは人々の活動を支える事ができない。だって、その年の天候の変動で電気が使えたり使えなかったりしたら不便だし、生活に関わってきますよね。人々が飲む水は他に代える事ができないのでダムに貯めているのと同じで、エネルギー源を自然に任せきりでは現代の人間生活は実現不可能なので、自然の不安定さをカバーした安定供給を目指し、沢山の人が努力してきたと思います。
今というかここ10年くらい、自然エネルギーが持てはやされ、逆に人間の作り出した火力や原子力というエネルギーは忌避されるような風潮が一部にあるのは、なんとなく誰もが感じているのではないでしょうか。
ここで、どうして人間が自然エネルギーではないエネルギー源を求めたかを思い出してみてください。自然エネルギーでは色々と不足があるからです。人間の都合などお構いなしで自然は変わります。けれども電力は安定して供給しなければなりません。電気のスイッチを入れれば電気が必ず来る(滞納していれば別ですが)、停電しないというのは非常に重要な事です。
太陽光は太陽光が無ければ発電できません。風力も風が無ければ発電できません。地熱だって地熱が無ければ発電できません。
それら全て、いつでも安定して供給されるのでしょうか。太陽も風も地熱も、人間の言うことは聞きません。晴れてほしい時に晴れず、風が吹いてほしくないのに暴風は吹き荒れます。水は幸いな事に貯める事ができるので唯一コントロールができますが、それでも水が無ければ無意味です。風や太陽光を貯める方法があったら教えて下さい。
だから自然エネルギーをいくら増やしても、エネルギー供給源が不安定な以上、不安定なエネルギーがどんどん増えるだけじゃないかと言うことを考えました。何かの技術革新で不安定ではなくなる日がもしかしたら来るかもしれませんが。自然エネルギーを凄く増やしたいなら、水力発電を開発しまくるのが一番現実的なのかな?そうすると水力発電ダムだらけになってしいそうだけど。
それなのに、自然エネルギーを増やしなさい(でも安定した供給は絶対です)というのは随分無理なことを言っているように聞こえると最近思いました。どうして原子力発電があるんだろうとか、そういう事を考えれば自然エネルギーをひたすら増やせみたいな事にはならないと思うんだけれど。難しいなあ。
久しぶりにちょっと勢いでブログを書きました。またね〜